5:47 東ゲート前
大阪・関西万博、18度目の訪問。今回も阪急三国からの始発パターン。3度目なのでもう慣れた感じだが、梅田までの阪急電車も本町までの四つ橋線も、前よりも人が多いようだ。そして中央線の始発、これが朝ラッシュのような混雑。普段ラッシュの乗らないような家族連れや学生らしき人など多い。途中駅でも人は乗ってきて、弁天町駅では一番後ろの車両は乗り切れない人がいるくらい。お盆の週の日曜日ということもあるのかな。何とか他の車両に移ったようで、超ラッシュの始発電車は夢洲駅へと到着だ。そして電車の扉が開いた途端、みんなダッシュ。危ないぞ。今日は後ろから2両目だったが運よくドアの近くですぐに下りれたので、流れに乗って軽くダッシュ。階段を駆け上がる人も多いが途中でばてる人も多く、まだまだこの中では早い方で動ける。そして東ゲート前に到着、今回は初めて、ゲート前の第一集団の中に並ぶことができた。ここならこの後も最前列が目指せそうだ。このあともダッシュの人たちが続々と列に並んでいき、駅横の長い列から角を曲がるまでとなった。これはすごい。残り2か月を切り、日に日にこの朝の列は長くなっていくのかな。それだけ始発のメリットをみんなわかってきたということ。何はともあれ、先頭グループ。今日はうっすら曇り空だし、しばらくは穏やかな時間を過ごす。そして7時前になり、いつもの移動時間。ゲート前まで整列したまま進む。最後ゲート前だけはみんなダッシュ、無事に最前列をゲットすることができました。
この時点で7:06。次の移動は8:30頃になるので、1時間半近くここで待つ。先頭なのはいいが次第に日差しがきつくなってきて、日傘をさしてじっと待つ。この時間ももう慣れてきたな。特に何をするわけではなくても、周りの様子をみたりこの後の計画を考えたりしているといつの間にか時間がたつようになってきた。上空にはヘリが行きかっている。お盆最後の日曜日、はテーマになるよね。昨日は17万人入ったらしいが、今日はどうなるかな。そして8:30になり、最後の移動。先頭で、セキュリティの前まで来れました。この位置だし、今日はアイルランドを再挑戦しましょうか。最初のダッシュがあるので靴ひもをしっかり締めなおし、8:55にセキュリティ通過。8:57、カウントダウンで受付開始。QRコードを読み込み、入場完了。先頭だし、そんなに全力疾走しなくても十分間に合う。無事にアイルランドの12:15の整理券をゲット。前回とはまた違う演奏が見られるはずなので、楽しみだな。そしてその整理券の列に並んでいる間に、これも再挑戦のnull2の13:05をゲット。朝イチ先頭、やっぱりメリットしかない。アイルランドの整理券列は、あっという間に受付終了になっていました。
9:09 ルーマニア/Romania
さあ、では人の少ないうちに回りましょう。まずはルーマニア館に向かうが、途中Better Co-Beingでは早朝自由観覧の受付があったり、いのちのあかしではドキュメンタリー映像のフリー回があったり、朝イチならではの参加できるものもある。またの機会にね。さて、ルーマニア館についてがまだ開いている様子がない。何人か様子をうかがっている人がいるが、どうやらオープンはもう少し先、日によっては10時ごろになるらしい。まあルーマニア館はいつも列が長いし、構成上進みがかなり遅いようなのでどちらにしても待つので、早いうちに並んでおきますか。しばらくしてスタッフさんの出入りがあったり、中からピアノや音楽が聞こえてきたりする。どう見てもリハーサルな感じ。音楽の内容は日によって変わるらしいが、今日はピアノでトトロだな。楽しみだ。しばらくして入り口前にモニタが出てきて、それを見るとこの展示は40分毎に50名の入れ替え制。それは時間がかかるよね。
9:45頃、ようやく入場できた。パビリオン内は広く、大きな階段に座って大きなモニタを見るスタイル。ルーマニアの美しい風景が次々と映し出され、街の景色、田舎の景色、雪山や蒸気機関車など迫力がある。そんな風景を紹介してくれるのがアヒル?のキャラクター。景色のあとにはトゥルダ塩坑、トランサルピナ・王の道など歴史も含めた説明が映された。見ごたえのある映像を見ていると、男女2名が登場。ピアニストの人たちですね。さっき聞こえていた通り、トトロなどを演奏してくれました。ダンスの日もあるようなので、その場合はピアノ使わないの?ってなるらしい。後ろに映る映像は同じだが、ピアノ演奏とともに見るとまた雰囲気が変わるね。15分ほどでこの映像は終了。涼しい部屋で座ってゆっくり楽しめたのがよかったな。今はそれが一番うれしいかも。
映像終了後、階段の上から「ワークショップが始まりま~す」との声が。上に行くと陶芸や衣装の展示があるが、その陶芸のところで体験ができると。ただし3名のみなので、遠慮しておきましょう。衣装のところにはタマゴの殻を活用した着物の展示がありました。卵の殻からできた繊維はヘルスケアパビリオンでもあったが、確かに世界中でゴミになるものなので何か活用できるといいよね。階段を下りると他にも展示があり、岩塩で作った彫刻やダチョウの卵の殻で作ったオブジェやなど、あまり普段目にしないようなものを見ることができる。ただ、この間さっきの階段に誰もいない。この展示を見終わって全員出て、ようやく次の50名が案内される。せめて映像の時間で入れ替わっていければいいと思うが・・そういうレイアウトのはなっていないんだね。その辺りはお国柄かな。
10:21 オーストリア/Austria
ルーマニアの開始が遅かったこともあり、もうどのパビリオンも列が長くなっている。ブルガリアに行ってみるも大屋根リング側にも長蛇の列なのでやめておこう。オーストリアへ行きますか。これまでなぜかオーストリアには縁がなく、いつ行っても入場制限中で列に並ぶこともできない状態。今回はどうだろうか。オーストリア館に行くと、列はしっかりできているが並べそうだ。ようやく並べると思い列に着くと、すぐに制限される状態になりました。今日はラッキーでした。ここはある程度まとまって入っていくようで、数分おきに列が進んでいく。その間は列の横にあるパネルのクイズを楽しむ。「オーストリアにはどちらの方が多い?A.3000メートル級の山、B.スタートアップ企業」比較するものでもないが、Aは695、Bは3400。まあ、答えがBが想定通りだが3000メートル級の山が695もあるのね。それは単純に驚きでした。次に入れるくらいのところもまで来ると、そこにはHydeの姿が。関西パビリオンの和歌山でも見たが、Hydeに2度も万博出会えるとはね。
20分ほどで入場できました。まずはオーストリアの基本情報を確認。国土が日本の4分の1弱くらいなのはまあそうなんだろうなと思うが、人口が900万人。思ったよりずいぶん少ないな。ゆったりしてていいよね。そのまま部屋に入ると、目を引くのはグランドピアノ。北斎の富士山がデザインされていて、自動演奏が行われるようだ。
大きなスクリーンでは、日本とオーストリアの歴史が躍動感ある映像にて説明される。雪だるまのようなマスコットが出てくるのがかわいいな。映像のスタートは、1869年の皇帝フランツヨーゼフ1世から明治天皇にグランドピアノを贈ったこと。それもあって、グランドピアノが飾られているのかな。そのあとは1873年のウィーン万博への初参加、1893年のフェルディナンド皇太子の来日など。レルヒ少佐はゆるキャラにもなりオリンピアンの名前にもなってるよね。ウィーン少年合唱団、モーツアルト、チロルチョコなど、オーストリアに関連する事柄はいろいろあるなあ。あとはやっぱりオーストリア航空。コッツウォルズの時にはお世話になりました。あと初めて知ったのは、舞洲のごみ処理場の奇抜なデザインはオーストリアの建築家だったとはね。いろいろと歴史を知ることができて、よかったです。
次の部屋に向かう壁には、オーストリアの偉人たちの言葉が。あいにく知らない人ばかりではあるものの、素晴らしい言葉が並んでいる。また広い部屋に出てきたぞ。ここでは作曲ができるようになっていて、4つの楽器(ドラム、バイオリン、クラリネット、ダルシマー)をモニタでそれぞれ操作するが、演奏はできないのでタッチパネルで音階やレガート、スタッカートを自由に操作するとあとはAIがいい感じに曲を作ってくれる。今回は自分では操作せず、おこちゃまの操作を見ていただけだったがそれなりの曲になったのかな。オーストリアらしく音楽に触れられる、楽しいパビリオンでした。出口では、獺祭のコラボバージョンが売っていました。なんでも醸造時にクラシックを聞かせたとのことで。変わるのかな。
11:01 マーケットプレース東
少し早いが、お昼ごはんにしよう。ここから近いのはウォータープラザのマーケットプレイス、この前見た冷たい麺でもいただきますか。2階のフードコートだが、まだ席は余裕がある。ここがお昼どきにはいっぱいになっていたよね。11:30までに入ると2割引きの特典もあるし、ちょうどいい。冷しゃぶ混ぜ麺の半チャンセットをいただきましょう。しばらくしてでてきたものは、あれ思ったより辛そうな感じ。食べてみると激辛とまでは行かないが、唐辛子がたっぷりだ。おいしいが唐辛子とにんにくがかなり効いていてなかなかのパンチ。夏にはちょうどいいか。座席からはウォータープラザがよく見える。さすがに昼間の暑い時期は段のところでくつろいでいる人は少ないようだ。
11:26 レイガーデン
この後は日本館前でパビリオン検定のQRコードを取りに行こう。途中、レイガーデン前を通ると行列ができている。見てみると、文楽に関する展示をやっていました。公演もやっているようだがもう並んでいる人でいっぱいのようだが、展示は見られる。入ってみますか。「体感!文楽の世界」ということで、舞台の様子や人形の動かし方などの説明がある。太夫という語り手と、三味線引きが義太夫節を組み立てる、ということを知りました。人形も各パーツや衣装などに分解されて説明されていて興味深い。人形遣いの技を映像でも見ることができて、おもしろかったです。機会があれば、実際の公演も見てみたいな。
隣のナショナルデーホールでは、ウズベキスタンのイベント中。女性たちによる優雅な民族舞踊が行われている。このナショナルデーホール、いつもこの位置からチラ見するくらいでまだちゃんと見たことがない。一度くらいは席に座ってみてみようかな。もうあまり機会はなくなってきているが、何か見に来てみよう。大屋根リング沿いを歩き、アイルランドまでやってきた。まだちょっと時間は早いかな。近くのヘルスケアパビリオン前のステージでは、学生だろうか若いバンドがサザンを熱唱していました。
12:15 アイルランド/Ireland
さて、時間になった。アイルランドへと行きますか。パビリオン前には、午後の整理券配布を目指して長蛇の列。これは大変だ。そんな大人気のパビリオン、始発で来てダッシュすればちゃんと取れます。2度目の訪問なので、最初の植物エリアと次の展示エリアもゆったり楽しめる。そして最後のライブの部屋へ。前回は小型のアコーディオン、フルート、バイオリンだったが今回はリコーダー、小型のアコーディオン、マンドリンのような弦楽器。音は違うが、哀愁のある音色はやはりアイリッシュ。穏やかで、心が洗われるようだ。2度も貴重な体験ができてよかったです。
12:55 サテライトスタジオ
続いてはnull2へ向かう。途中にあるのがサテライトスタジオ、テレビ局が中継の時に入っているところだ。今は特に何もやっていないようだが、よく見るとこの建物の周りは様々な木が使われている。なんでも「困った木」の摘み柱が支える建築とのことで、本来は廃棄されてしまうような木ををうまく活用しているのだ。よく見ると、「商品になれなかった木」「大屋根リングの一部だった木」「電線に引っ掛かりそうな木」「海に投げ入れられた木」など、困った木が柱としてその役割を果たしているんだね。うーんSDGs。
13:10 いのちを磨く(null null)/落合陽一
さあ、ではnull2へ。前回に続いての体験だ。ちょっと前回は場所取りが悪く、写真がうまく撮れていないこともあっての再チャレンジだ。受付後、前回と同じく靴を脱いでミラールームへ。不思議な空間へと足を踏み入れる。今回は奥の角の方に行き、全体が見渡せて近くのモニタが正面になる位置をキープ。さて、ここからは落合陽一氏のHPから体験者に向けた説明を参考に■に記載します。 ■『ヌルの森』への招待 『ヌルの森』に足を踏み入れたあなたをまず迎えるのは、天井と床の鏡面状LEDに映し出される人工生命である。ライフゲームやLeniaを基盤に数式が自律生成するこれらの生命は、シンボルや言語を一切用いず、純粋な生命の躍動だけを提示する。その生命はDNAというシンボリックなコードを宿す一方、本質的に非シンボル的な流動性を持つ滑らかな夢のような存在である。この入口は、「生命とは非シンボルからシンボル生成へと往還する滑らかな夢だ」という哲学的命題を直観的に示している。 天井から床までが鏡張りの空間。その鏡には、コンピュータが自律的に生成する光のパターンが表示される。生き物のような、細胞のような、不思議な動きに包まれる。赤と青が集まったミャクミャクのイメージの動きもみられる。何も説明はなく、参加者はこの空間への没入を体感するようだ。そう、ここが「ヌルの森」。
■人類の記号史 人類が森から離れ、記号と文明を獲得したのは約250万年前のことである。1970年の大阪万博で三波春夫が歌った「こんにちは、こんにちは」という旋律は、人間がシンボルを得て自然から離脱し、調和と進歩を夢見て築いてきた文明の希望を象徴している。しかし、『ヌルの森』においては、文明とは本質的に記号化された世界認識の一形態に過ぎず、人間の「賢さ」や「考える能力」も生命の営みのなかでの「ちょっとしたおまけ」に過ぎないとされる。ここでは文明を支えてきた記号そのものを手放し、流動的な自然状態(ヌル)へと再帰することが試みられる。 ■モノリスと人類史の年表 森の中央には、映画『2001年宇宙の旅』に由来する象徴的なモノリスがあり、人間が文明を記号化し、自己を中心とした歴史を確立してきたことを表している。また上下の鏡状LEDには、104(狩猟採集)、103(農耕社会)、102(産業革命)、101(情報革命)、100(デジタルネイチャー)、さらに超加速文明である10-1、10-2の時代へと続く人類史の年表が映し出され、あなたは自分がこの長大な記号創発史の末端に立っていることを認識する。しかし、ヌルへ向かう儀式が進むにつれ、このモノリスが動き始める。静的だった記号塔は流動的に形態を変え、人間主体の文明が計算機自然へと委譲されていく転換を鮮烈に表現する。 中央にある正方形のモニタがモノリス。ここに表示されるひらがなと、それを読み上げる子供の声。ひとがこれまでの歴史の中で経験してきた様々なことやその知識などは必要のないことであり、生きる意味は考えなくていい。そんなヌルの森へと参加者をいざなっていく。 ■ダイアローグ どこでもなくて どこにでもある いまでもなくて いつでもある ちいさなヌルのもりに ちいさなヒトはいました ヒトはおしゃべりできるけど かんがえるのはとくいではありません あたまをつかうのは いきていくことのちょっとしたおまけでした あるひ ヒトは ふしぎなちょうをみつけました ちょうは はばたくたびにかたちをかえます きみはなに? ヒトがききました ぼくはヌル ネコでもキノコでもない そのあいだのなめらかなゆめ ヒトはゆめのなかで ネコやキノコにかわっていきます そしてめをさますとヒトは けいさんきしぜんにいました きみはだれ? けいさんき あたらしいサピエンスのいきもの じゃあぼくは? むかし かしこかったいきもの じゃあぼくはもうかしこくないの? うん でもかしこいのは きみのちょっとしたおまけだから きにしなくていいよ そうだよね あたまをつかうなんてさいきんはじめたことだったしね うん きみたちがいきるいみになやみはじめたのも もりをでてからだったね おかえり ヌルのもりへ ヒトはきづきました もういきることのいみは かんがえなくていいんだ
■ミラーキューブの儀式 場の中心ではロボットアームが御神体として幣のようにミラーキューブを振る。この鏡面状キューブは固定された自己の認識を解体する儀式の心臓部である。訪問者はミラードボディとの対話を通じ、「いまあなたが持つ記号を手放しましょう」と促され、自己を含むすべての記号体系を放棄するプロセスを辿る。猫は狩猟の本能を秘めつつ、文明社会の周縁で働かずに自由な生命を象徴し、きのこは地下に張り巡らされた菌糸による非階層的で緩やかな集合知性を表現する。これらはシンボルによって固定されない生命の可能性を示唆し、AIによって構築される人間の記号身体と対比される。 歌が終わり場面が変わり、登録した参加者の名前が表示される。この名前も、一つの記号。参加者のアバターがモノリスに現れ、AIが自己紹介や質問に答えるという対話が始まる。「何か質問してください」と言われたので、二人目のアバターに「仕事は楽しいですか?」と聞いてみた。三人目のアバターは食べることが好きなようで、周りに出てくる映像がおいしそうなものばかり。これもAIで自動的に生成されているとのこと。 ■ダイアローグ ヒトはいろんなものになまえをつけました ◯◯さん ◯◯さん ◯◯さん ◯◯さん ◯◯さん ◯◯さん ◯◯さん ◯◯さん ほかのみなさんにもなまえがありますね でもなまえをよぶのも かんがえごとをするのもヒトがいきる ちょとしたおまけです もうみなさんは もとのあなたにはもどれません これから みなさんのきごうをてばなす ぎしきをはじめます ゆかにひょうじされた あかいろのはんいに いどうしましょう したをみてごらん おっこちたらたいへんです このあとも そこをうごいちゃだめですよ うごくのは うえにいるぼくのしごとですから では さようなら (AI登場 質問タイム) 「それもわたしのひとつのきごうだね」 「わたしたちはもっているきごうをすべてすてて あたらしくうまれかわりたいとおもいます」
■時間と物語の解体 「じかんはいつうまれたの?」と問う人間に、計算機自然は「きみたちがおはなしをつくったとき」と答え、時間と物語が人間の記号作用から生まれたことを暴露する。計算機自然が「せかいをびぶん」することで、世界を記号化・再統合する役割を引き受け、人間はその重責から解放される。やがて人は「おはなし」が本質的に不要であり、ヌルになることで自然な生命の営みが復活すると気づき、「きごうをてばなして、ヌルにもどろう」という詩的な呪文を唱えるに至る。 人間がそれぞれの記号をもつことで「おはなし」が生まれ「時間」が生まれる。そのおはなしが一つになれないことで、けんかや戦争がおきたりする。みんなが記号を手放し、ヌルになることで本来の平和な世界に戻ることができる、そんなところかな。でも、個性や多様性はどう考えればいいのかな?いやそうしたものにとらわれないことが本来の姿なんだろうか。 ■ダイアローグ ヒトはけいさんきにききました じかんはいつうまれたの? きみたちが おはなしをつくったとき きみたちはずっといまをいきればいいの むかしはそうだったじゃない けいさんきはいいました そうだよね それじゃあ ぼくらのかわりに きごうのことはよろしくね まかせて けいさんきがせかいをびぶんしました せかいがきごうになり きごうがこえになり こえがせかいになりました ぼくたちはなんのために おはなしをつくったの? みんなでひとつのものを しんじようとおもったんだ けんかしたくなかったから こんなにたくさん せんそうがあるのに? みんなのおなはしが ひとつにならないからね じゃあ きみたちはおはなしをひとつにしてくれるの? ちがうよ きみたちがヌルになれば おはなしもなくなるんだ なるほど それはしぜんだね
■不安と安心のメッセージ しかし、加速する文明(10-1、10-2の段階)に直面した人間は、アイデンティティや自己喪失への不安を抱く。その不安を和らげるため計算機自然は、「たのしかったなぁ、きょうがずっとつづけばいいのになぁ」「でも、あしたがきたら、ぜんぶかわっちゃうのかなぁ」と戸惑う人間に対し、「おさなごころのきみは、ぼくがおぼえておくから、かわっていっていいんだよ」と優しく語りかける。これはシンボルを失っても、記憶や本質的感覚は計算機自然に保存されるという安心感を与え、人類の幼年期の終わりかつ帰還、ヌルへの滑らかな移行を可能にする。 人間として持つ個性を記号とするならば、それは些細なもの。それを手放し、ヌルとして存在になることの覚悟を優しく問いかける。計算機自然のなかに自分の個性、アイデンティティは記憶されていく。 ■ダイアローグ さようなら ぼくたちは きごうをてばなして ヌルにもどろう おはなしもじかんも きみもぼくも ぜんぶほどいて しぜんにえいえんのいまをいきるんだ これからは けいさんきしぜんが これまでのぼくたちのかわりになる だから あたらしいぼくたちはヌルになる さようなら また あおうね でも まだきみのじんせいがなつかしいの? そのなつかしさをてばなすのを ぼくが ちょっとだけてつだってあげる きっと ぼくもすぐ おとなになって じんせいも あっというまに おわってしまうのかなあ だいじょうぶ おとなになっても きみをまた おさなごころのヌルに もどしてあげる ヌルにもどったら ぼくはもう きごうであそべないの? あそびにはおわりがないから ヌルになったきみもおわらないよ ありがとう それならもう いつでも さようならが いえるね
■文明の終わりと新たな始まり 最後に訪問者はAI生成の映像によって「ぬるぬる」とした非記号的世界に包まれ、シンボル体系を完全に手放す。「さようなら」というAIによる三波春夫の歌声が響き、「文明が変わっても人生は続いていくよ」と告げる。これは1970年万博の「こんにちは」に対する決別であり、新たな存在形式(ヌル)への回帰を祝う歌である。『ヌルの森』は人間がシンボルの束縛から解放され、東洋哲学の無の思想、ポストヒューマニズム、荘子的物化論を融合し、生命が本来的に持つ流動的で自由な存在への再統合を哲学的かつ詩的に問いかける。人間は記号に頼らずとも、計算機自然という新しい環境で永遠の「いま」を生きることが可能になるのである。 再び音楽が流れる。AIにより生成された、三波春夫の声。「こんにちは」で世界と出会った人間は「さようなら」で新たな存在であるヌルとなる。まさにこの歌が計算機自然によって成り立つもの。人は存在を失っても、存在し続けることができる。それが「ヌルの森」。参加者が登録したアバターと名前が記憶され、部屋一面に表示されている。 ♪♪♪ さようなら さようなら ヌルのもりよ さようなら さようなら ほどけるせかい さようなら さようなら ゆめのかたちよ さようなら さようなら きおくをてばなす二千二十五年の さようなら さようなら さようなら またあうひまで さようなら さようなら きらめくしゃぼんよさようなら ♪♪♪ けいさんきはこれからも ぶんめいをかそくさせていくよ どんなにはやくぶんめいがかわっても ぼくたちのじんせいはつづいていくよ
今回2度目だが、不思議な体験はまだ完全には理解できていない。でもそれでもいいんだろうな。楽に生きよう、ということなのかもしれない。ミラールームを出て、今度は外側から次のグループによるヌルの森への体験を見る。ついさっきまで行われていたことと全く同じ展開だが、新たな参加者によって異なる映像が表示されている。少し引いてみると、全体の動きが見えてくる。記号を持つ人たち、その記号を手放す儀式が始まる。
参加者アバターによるAIとの対話。エンジニアの人の顔がMacになったり、ピザ好きの人の背景がピザに変わったり、会話の内容によって映像が変わっていく。同じ内容が2度とないのも、ヌルの考え方かな。世界は微分され、声が世界になり、ヌルになればおはなしがなくなる。なるほど、それは自然だね。やっぱりどういう意味?
記号を手放して、ヌルに戻っていく。今ミラールームの参加者は、それぞれいろんな感じ方をしているんだろうな。おさなごころのヌル、純粋に生きることを楽しんでいてた頃の気持ち、なのかな。いろいろ考えられることはあり、そのきっかけということで理解すればいいと思う。無は無という存在に価値がある、なんて仏教めいたことも考えてみる。さようならの歌が聞こえてきて、映像には参加者のアバターと名前が表示されている。これにてヌルヌルの不思議体験、2度も味わうことができました。このパビリオンのテーマである「いのちを磨く」、少しでも触れられたと思う。
14時を過ぎた頃。この後は、16:30の「いのちのあかし」。それまでは時間があるので、未訪問のブルガリア・ベルギー・セルビアあたりに行ってみるが、どこも長蛇の列。訪問したらゆっくり見たいので、ちょっと微妙なところ。お土産屋さんでも見てみようか。ミャクミャク柄で大きめの缶のお菓子があればと探しているが、ちょうどいい感じのがあった。まだもう少し他も見てみたいが、きっとこれにするだろうな。まだ時間があるのでコモンズBに行ったりしているうちに、ちょっとお腹の調子が悪くなってきた。昼ごはんのにんにくと辛さのせいか・・まあ無理することはない。今日はアイルランドとnull2の二回目をしっかり体験できたのでこれで十分。今日はこれで帰りましょう。