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7時頃起床。8時過ぎに1階のレストランに行くと、ちょうど満席のようだ。でもすぐに席が空いたので、いろいろといただきましょう。「長崎じげもん」とのことで、要するに地元のものということだよね。シューマイや角煮といった中華風があるのが長崎らしい。中華&和食系を一通りいただいたあとは、手作りパンやサラダなどの洋食系もいただきす。これでさすがにかなり満腹、今日一日の栄養補給はばっちりです。たくさん歩かないと。
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じげもん中心の和食系
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こちらは洋食系
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じげもんいろいろ
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ホテルを出て、路面電車の思案橋駅へ。まずはオランダ坂方面へ向かうので、築町駅で乗り継ぎ券をいただき、石橋行きにのって市民病院前駅で下りる。ここから少し歩くと、オランダ坂に到着。かなり急な坂だ。このあたりは幕末から明治時代にかけて西洋人が住んでいた場所で、その名残ある建物が残っている。いわゆる異人館ですね。洋風の建物なのに瓦屋根というミスマッチが異国情緒を醸し出している。それにしてもかなり急な坂もあるなあ。
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路面電車
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オランダ坂
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東山手甲十三番館
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グラバー園が見える
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ここもオランダ坂
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東山手洋風住宅群
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路面電車の終点駅までやって来たぞ。しばらく歩くと、グラバー園に続くスカイロードに到着。ここは急な坂道を斜めに上がっていくエレベーターで、グラバー園に向かう人だけでなく地元の人の足にもなっている。これがなかったら中腹辺りに住んでいる人は日々大変だろうなあ。無料だし、これはいい。あっという間に到着だ。
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終点の石橋駅
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スカイロード
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斜めに上がっていく
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エレベータを降りて周りを見下ろすと、まさに坂の町・長崎を実感できる。ここはまだ中腹なので、このあとは普通のエレベーターでさらに上がっていくのだ。その途中、ベンチの周りにネコがたくさん集まっていました。そういえばいろんなところにネコがいて、シッポが短いのや丸いのがいたりするのだがこれは西洋人が持ち込んだネコとの混血が進んでいるかららしい。つまりネコまでも異国情緒満載ということだね。エレベータを上がると、港を一面に見ることができる。いい景色です。
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スカイロードを見下ろす
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ここが降りたところ
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あのエレベータでさらに上がる
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ネコがいた
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シッポ短めかな
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港を一望
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ここからはグラバー園の第2ゲートがすぐ近く。中に入ると、長崎港の眺めが飛び込んでくる。この展望広場からは、昨日行った稲佐山がよく見える。天気もいいし、いい景色だなあ。ゲート前にあるのが旧三菱第2ドックハウス。ここは船員達が宿泊するための場所だったらしく、長崎造船所そばにあったものを移築しているとのこと。ここからは、少しずつ下りながらまわっていこう。広場には、レトロなドレスに来た女子3人組が楽しそうだ。あれは園内で借りられる衣装だね。その近くにあるのが旧長崎高商の表門衛所。高校の守衛室、ということかな。
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第2ゲートから入る
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展望広場からの景色
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稲佐山が見える
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旧三菱第2ドックハウス
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レトロ衣装の女子3人組
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旧長崎高商表門衛所
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下り坂の途中にあるのが旧ウォーカー住宅。イギリス人実業家のロバート・ネール・ウォーカーの次男が住んでいた住宅で、大浦天主堂のそばに建っていたらしい。そのウォーカーとは、日本の海運業に業績を残し、さらにキリンビールの前身であるジャパン・ブルワリ・カンパニーを創立したとのこと。ありがとう、ウォーカーさん。その向かいにあるのが旧長崎地方裁判所長官舎。ここは今ではさっきのレトロ衣装を貸し出す場所になっていました。
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旧ウォーカー住宅
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実際に使っていた
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旧長崎地方裁判所長官舎
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その先にあるのが旧自由亭。江戸時代の終わり頃、日本で初めての西洋料理のレストランとして伊良林にオープンされたとのこと。伊良林といえば亀山社中の近くだよね。ビーフステーキやカレー、コーヒーなどが振る舞われていたらしい。どんな人が通っていたんだろうね。その近くには泉があり、ここにはプッチーニと三浦環の像がある。長崎を舞台にしたドラマ、蝶々夫人(マダム・バタフライ)の作曲者とそれを演じた人ですね。
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旧自由亭
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西洋料理発祥の碑
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プッチーニと三浦環の像
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どんどん行こう。旧リンガー住宅では、ヨーロッパでマダム・バタフライを演じて一世を風靡したオペラ歌手・喜波貞子の遺品が展示されている。ところでフレデリック・リンガーとは、グラバー商会に勤めた後、リンガー商会を設立し貿易や上水道建設、発電など長崎の経済界に君臨したらしい。こういう人がいて、日本が世界に発信していったということかな。そういえば長崎ちゃんぽんのリンガーハットは、リンガーさんの小さな家、という意味のようです。
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旧リンガー住宅
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家具がいろいろ
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女神大橋が見える
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その先には旧オルト住宅がある。園内では最も大きな建物だ。ウィリアム・オルトは、貿易で日本の緑茶を世界に広めた人らしい。その緑茶を九州一円から集めたのは大浦慶。グラバーや岩崎弥太郎などとともに、龍馬伝のシーンが思い出されます。そういうつながりがあるのか。いろいろ知識がつながってくるのはおもしろいなあ。
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旧オルト住宅
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応接間
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居間の奥に浴室
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最も奥にあるのが旧スチイル記念学校。東山手に建てられたミッション系の学校だ。後に我が母校明星学園の姉妹校・海星学園の寄宿舎にも使われていたらしい。この中には、出島や船の模型、グラバー氏をはじめとする西洋人に関する展示、そして坂本龍馬や岩崎弥太郎に関する展示など、なかなか興味深い。グラバー氏の息子であるトーマス・アルバート・グラバー氏は、日本名を倉場富三郎といい、長崎の水産業発展に尽力したとのこと。
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旧スチイル記念学校
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出島の模型
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立派な帆船
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日本の近代化を進めた人達
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坂本龍馬
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岩崎弥太郎
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そして最後にグラバー住宅。日本最古の木造西洋風建築だ。建物前の花壇が満開できれいだ。中に入ると、ひときわ広い部屋の中にはたくさんの家具があり、当時の様子がしのばれる。住宅内にはトーマス・ブレーク・グラバーとその妻ツルの写真、その息子の倉場冨三郎の銅像などがある。建物の天井には隠し部屋があり、ここは幕末の志士をかくまったこともあったらしい。奥には厨房があり、ここでどんな料理が作られていたのかな。外に出ると、グラバー氏の銅像がありました。どんな思いで日本に来て、どんな思いで日本の発展を見ていたのかな。
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亀がいた
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ちょうど満開
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グラバー住宅の向こうに海
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グラバー住宅
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客用寝室
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応接室
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厨房
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グラバー氏の銅像
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上海からの客船
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さて、これで一通りまわったぞ。では行きますか。出口の建物が長崎伝統芸能館になっていて、中には長崎のお祭り「長崎くんち」に関する展示がされていた。傘鉾と呼ばれるたくさんの山車や龍踊りの白龍と青龍などが展示されていました。ポルトガルやオランダ、中国などの文化がミックスされた祭りで、その日は長崎市内が大盛り上がりになるようだ。楽しそうだなあ。
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傘鉾が並ぶ
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白龍と青龍
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これも傘鉾
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グラバー園を出て、すぐ近くにあるのが大浦天主堂。日本に現存する最古の木造教会で、正式名称を「日本二十六聖殉教者天主堂」という。豊臣秀吉によるキリシタン弾圧の頃、石田三成が大阪や京都で捕縛したキリシタンが長崎まで連れられて磔の刑に処せられたらしい。ここはそんな悲劇の歴史に捧げられた教会堂で、その殉教地にむけて建てられているとのこと。石の階段の上にそびえる天主堂が神々しいな。中は撮影禁止だが、ステンドグラスがとても美しい。
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大浦天主堂
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なにやら神々しい
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信徒発見のレリーフ
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さあて、お昼ごはんだ。路面電車で築町まで行き、少し歩くと川沿いにいかにも中華街な門があった。ここは長崎新町中華街、このあたりに中華のお店がたくさん集まっている。さて、何にしようかな。やっぱりもう一回、ちゃんぽん食べてみようかな。さほど情報があるわけではないので、通りをうろうろして目についた江山楼というお店に入ってみようか。2階に通されたところ、広い畳の部屋に中華の丸テーブルが並んでいてなかなかおもしろい。メニューはいろいろあるが、特製のちゃんぽんと皿うどんをいただきましょう。しばらくして運ばれてきたものは、なんとも大盛り。具も麺もたっぷりだ。ちゃんぽんは昨日食べたのよりもあっさり目かな。野菜がたっぷりで、フカヒレなど海鮮もいろいろ入っていてうまいです。皿うどんはパリパリの麺がしなっとなってうまいが、麺が多すぎて食べ切れず。いやいや、満腹です。ごちそうさまでした。
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新町中華街の門
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中華のお店がいろいろ
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どれもおいしそう
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皿うどん
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ちゃんぽん
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お店の入口
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再び路面電車に乗る。やはり長崎と言えば、過去の悲しい歴史にも触れておきたい。浜口町で降り、坂道をしばらく登ると長崎原爆資料館がある。中にはたくさんの展示品や写真があり、原爆のすさまじさを物語っている。その瞬間、いったいどれほどの地獄絵図だったのだろうか。想像してもしきれないほどの現実がそこにあったのだろう。どんな理由をつけたとしても、こうした悲劇は二度と繰り返してはならないものだと、改めて感じる。
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資料館入口
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投下前の街並みと浦上天主堂
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1945年8月9日午前11時2分
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すさまじい熱を受けた
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廃墟と化した街並み
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核の歴史
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資料館を出て、坂道を下がり道なりに進むと丘があり、その上にあるのが平和公園。ここは昭和26年に作られた公園で、原爆の悲惨さと平和の大切さを訴えている。公園の奥にあるのが平和祈念像で、右手は原爆の驚異を、左手は平和を表現している。青空の中、今はこんなに穏やかなこの瞬間だが、こうして平和にいられることに感謝です。修学旅行で来たときには何を感じていたかな・・・さーちゃんはのんびりと長崎名物のチリンチリンアイスを楽しんでました。
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平和の泉
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折鶴の塔
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乙女の像
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チリンチリンアイス
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見えてきた
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平和祈念像
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平和公園を出ると、すぐに浦上天主堂が見えた。長い階段を下り、坂道を進むと天主堂の下に到着。ここは爆心地に近いために倒壊したのだが、当時の鐘楼がそのままの状態で展示されている。原爆ドームと同様に、ここも保存しようという動きもあったらしいが、あまりの破壊にひどさに昭和34年に再建されたとのこと。今ではレンガ造りの外壁が美しい。中は撮影禁止だが、被爆したマリア像が展示されていて当時の様子を物語っている。ちょうど訪れたときは、ミサが行われていました。
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浦上天主堂が見える
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階段を降りよう
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倒壊した鐘楼
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被爆した石像
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青空と浦上天主堂
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悲惨さを伝える
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再び平和公園エリアに戻り、原爆落下中心碑へ。ここの約500メートル上空で、あの原爆が炸裂したのだ。この碑の右側にあるレンガの壁は、倒壊した浦上天主堂の一部らしい。当時何もわからない中で被害に遭われた方がいかに多かったことか。冥福を祈ります。さて、そろそろ行きますか。松山町の駅から路面電車に乗る。結構歩いたので疲れたかな。出島までの20分ほど、のんびり行きましょう。
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原爆落下中心碑
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50周年記念の碑
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路面電車で帰ろう
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出島駅で下り、海側に歩くと出島ワーフがある。実際の出島は今は跡形も無く、もう少し陸側にあったとのこと。埋め立てが進んでしまったと言うことで、なんだかもったいないなあ。なんとか形を残せなかったのかな。出島ワーフにはカフェやレストランなどが並んでいて、海を見ながら寛ぐことができる。しばらく散歩したり、2階のベンチでゆったりしたりしながらのんびり過ごす。途中近くのお店に行ったりしているうちに、日が沈んできたぞ。海の向こうに見える稲佐山にも、灯りがともった。穏やかな、いい雰囲気ですね。お腹も空いてきたし、そろそろ行きますか。
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出島ワーフ
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港の向こうに稲佐山
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夜のライトアップ
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今日はホテル近くの居酒屋さん、雑魚屋にしましょう。入口にあるヤリイカの刺身の写真が実に魅力的。2階に案内され、ゆったり落ち着ける席につく。ほっと一息ですね。今日は日本酒をいただきつつ、突き出しの2品を楽しむ。なかなかいい感じです。しばらくして、到着したのはヤリイカの刺身。さっきまで生きていたので、足が動いているし体の色が呼吸に合わせるかのように変わる。こんな姿になってくれてありがとう、おいしくいただくからね・・・うまいです。こりこりした歯ごたえにイカの甘みがしっかり感じられて、やっぱり新鮮さが命ですね。一通りいただいたあとは、ゲソなどの部分を焼いていただき、2度目のお楽しみ。うまいっす。芹と筍と椎茸のおひたしと、独活と茗荷の酢味噌和え、ともに日本酒によく合います。さて、どんどん行きましょうか。ワカサギの天ぷらに鯵の刺身。どちらもやっぱり新鮮なようで、うまいですね。長崎の地酒もすっきりいい感じです。そろそろ締めかな。長崎には「おじや」というものがあり、鍋の締めのおじやと言うよりは、野菜としっかり煮込んだ雑炊という感じ。すべておいしくいただきました。ごちそうさまでした。
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長崎地酒で乾杯
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ヤリイカの刺身
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残った部分は塩焼きで
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ワカサギの天ぷら
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鯵の刺身
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おじや
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今日は日曜日。昨日の夜は賑やかだった思案橋通りは、今日はなんだか閑散としている。みんな明日は会社や学校ということなんだね。今日はいろいろ楽しみました。明日は早起きしようと思うので、早めに寝ましょう。
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